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知らなかった台湾に会ってきました。

4月の初めは、お休みを頂き、所属する東京九鍼研究会の研修で台湾へ行ってきました。


研修自体は、台北医学大学付属医院の見学を含め、この会らしいなかなかdeepなプログラム(笑)
個人的にかなり有用な情報も得られ大変有意義でした。
日々の臨床に役立てていこうと思います。
現地コーディネートして頂いた台北医学大学の陳先生、通訳で尽力頂いた森先生、
とりまとめ頂いた中倉先生、山本先生には感謝申し上げます。
 
研修模様に関しては東京九鍼研究会のFBページに譲るとして・・

 
個人的にはせっかくの機会ということで少々前乗りさせて頂き、南部の方へ。
台湾といえば、東日本大震災時、200億円以上の義援金を支援頂いた国ということで
記憶に新しいところ。




しかし、親日国ということは一般に知られていても、どうしてそこまで支援してくれるのか?ということに
明確に答えられる日本人は果たしてどれくらいいるのでしょうか?
恥ずかしながら、私は明確にわからなかった一人。



今回は、研修以外にも台湾に残る日本をできるだけ感じてきたいなと少し回ってきました。



台南にある1930年代に建てられた消防署。
現在、台湾では日本統治時代に建てられた建物を保存して有効利用しようという流れに
なっているそうで、こちらもリノベーションの最中のよう。
修復工事前の画像は以下。






台南・林百貨店屋上の神社 末広社。
開業当時は一般公開されないエリアだったとか。


翌日は、一番行ってみたかった烏山頭ダムへ。
台湾では教科書にも載り、最も尊敬される日本人とも言われる八田與一の偉業をぜひ実際に見てみたいと
思っていました(→八田氏の業績


台南からローカル線で隆田駅へ。ここからタクシーをチャーターして向かいます。


駅の構造は日本人には懐かしさをおぼえる風景。うちの近所の小湊線はいまだにこのスタイルです。


八田與一の像。昨年の損壊事件の影響なのか近づけないようロープが張ってありました。


八田技師記念室。


台湾でも大ヒットした映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」でも出てくる旧放水口。
八田役の大沢たかおが立っていたところですね。






満水時のための余水口













当時は、台湾も「日本」でしたから自国のインフラ整備
ということになりますが、現地の人々とチカラを合わせて
成し遂げられた・・と言う意味では、途上国への海外活動
と重なるイメージもあり、そういう意味ではスーパーな
JICA専門家、JOCV隊員という風にも感じられ、とてつもない
活動をされたのだなあとただただ驚くばかりです。




その後、台北に向かう途中、新竹市で途中下車。
戦死した祖父の兄家族が住んでいたという場所を見てみたくなり行ってきました。
父のいとこは湾生(日本統治時代の台湾で生まれ、戦後に日本本土へ引き揚げた日本人
になります。


新竹駅。日本人建築家松崎万長が設計した台湾で現存する最古の駅舎。
100年超えの長老駅舎ということで東京駅と姉妹駅になっています。


新竹駅から内湾線で竹東駅へ。
小湊線同様こてこてなローカル線です。


こちらが内湾線。たまたま乗車した客車は日本製でした。


車内はこんな感じ。謎のアニメキャラ全開。


竹東駅に着きました。


駅前の雰囲気は想像よりずっと都会です。


ここで帰ろうかと思っていましたが、どうせ来たのだからと、戸籍謄本の上坪地区まで
タクシーで行ってみようということに。漢字で書いたメモを見せて行ってもらいます。


上坪地区に入りました。
ここまで来るとかなりローカルな雰囲気。


上坪地区の国民小学校。





上坪の老街です。当時からの建物なのでしょうか、雰囲気があります。


たまたま会った地元のおばあちゃん。
残念ながら日本語の話せる方ではありませんでしたが、戸籍謄本を
見せて身振り手振りしていたら趣旨をわかってくれたようで、
親指を立てて、「こんなところまでよく来たな!!」とジェスチャーと表情で表してくれました。
このおばあちゃんのおかげでなんだかほっこりしました。
今回、烏山頭ダムには、本当に行ってよかったです。
この偉業の凄さ、義援金の意味を五感を通して少しでも感じることができました。
参考ブログ記事(白駒妃登美さん)



 

at 00:00, くさのね, あの人に会いたい

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