<< 9月の臨時休診 | main | 自閉症で良かったこと >>

ありえない討論会を妄想してみる

ありえないシチュエーションですが、原発問題を話し合う討論会を、ガチ当事者どうしで同じ会場で
車座になってやろうという状況を想像してみてください。




東京電力幹部
経産省担当官僚
御用学者(と言われる方々)
推進してきた政治家、知事
福島第一原発のスタッフ

現首相
歴代首相
例えばアメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデンあたりの首相、国民

ウラン採掘現場労働者
ウラン採掘現場付近の住民

大手企業の経営者
中小企業の経営者
経済学者

飯舘村の農家
福島の漁師
南相馬の妊産婦
広島長崎の被爆者
反対運動のリーダー
自然エネルギー推進派
反対派の学者
チェルノブイリ近郊出身の身体的ハンデを持った青年
・・・・・


あくまでニュートラルに事を進めるべきこの討論会のファシリテーター(進行役)は、さぞ大変だろうと想像します(^^;)



一定の厳格な発言、傾聴、守秘義務等のルールを設けないと成立しないでしょうね。
(そもそも招待を受けるかなんて現実的話はこの際抜きにして)




このような場が成立する、させるとしたら何が一番必要でしょうか。




いろんな視点、考え方があろうかと思いますが、まず基本的に必要な要素は・・


「どんな立場の参加者とも冷静に座っていられる」

という当たり前の参加条件がまず必須になってきますね。


そのためには、とりあえず「善悪の判断を抜きにして相手の居場所を尊重できる」
というスタンスが各参加者に求められるということになってきます。
それぞれの参加者が「安全、安心」を感じていられなければ成立しないですからね。

でも、これってなにげに簡単ではありませんよね。
「そんなの無理だよぉ〜」という方も当然おられるでしょう。


でもそれでは、「場」が成立しないんですね。


ある種、観念的と思われるかもしれませんが、原発問題のいきつくポイントは、この辺にあるのではと個人的には感じています。



ここまで、冷静に受け止められれば、推進派といわれる人々の目を見ながら深呼吸もできるようになってきますし、
彼らの背後に、その家族も想像できるようになってきたりもするでしょう。
(会場内に、各参加者の家族もいるといいですね。子どもは防音ルームで保育してもらって)



以下のブログを読んでいて、こんなことを妄想してしまいました(^^;)





無知、思考停止への反省も含め、これまでの原発から享受してきた恩恵への感謝と推進派の人々の居場所もハートに設けながら、
どうしたら冷静にコミュニケーションしうるのか考え続けていきたいと思います。





PS.ちなみに、上記の参加者やファシリテーターの「在り方」は治療家の在り方にも通じるんですよねー。


at 17:17, くさのね, つれづれ

comments(4), -, - -

comment
くさのね, 2011/09/12 6:25 PM

しま先生

コメントどうも有難うございます。

サンデル教授のNHK番組は以前少しみたこがあります。

興味深い試みを日本でもやっていたりするのですね。

おっしゃるように、違いの中にいることに慣れていない日本人は、そのような傾向が強いかもしれませんね。

千葉大の討論ではみなさん冷静であったとのこと。すばらしいことですね。

私自身もじつは、実際妄想しているような討論が実現するところまでくると、人間はちゃんと冷静にやりとりすることは可能であろうと感じております。

そういう場が実現してしまえば、実際に「議論」しなくとも少なくとも大きな一歩のような気がします。

つまり例えば、クライアントが自分のイシューの「渦中にいる段階」と、コンステレーションワーク上で、悪者(と思い込んでいる)も含めて代理人を立てて眺めている状態では、それだけでクライアントにとっての問題認識のステージが違ってきますよね。(ワークをご存じなので例えてみました)


さらにいうと・・
しま先生のような体験をされている方は別として、マスコミ情報やネット社会がつくる「日本の世間」という空気感を前にした時に、「推進派」、「反対派」の人々のハートでは、さかんに「投影」ばかりされていて、ジャッジしまくらであろうということなんです。

これは自分自身も含めそうなりがちということなんですけどね・・・


原発問題などは、「恐れ」や「怒り」、「あきらめ」、「無力感」などをとても過剰に引き出してくれやすい現実的イシューなので、びっくりするほど当たり前なコミュニケーションさえ成立しなくなりがちですよね。

政治とかデモ・署名等による意思表示などの現実行動ももちろん大切ですが、それと同時に、個人ベースでは、自分自身の無意識と仲良くなっていくことがとても大事だなと感じつつ、こんな記事を書いておりました。
なんだか長くなってしまいました(汗)


100匹目の猿現象的に、集合無意識
がシフトするためにも、自分自身の怒りや恐れ、無力感と仲良くなっていきたいものだと感じております。



しま先生参加の討論が本になったら読んでみたいです(^^)

しま, 2011/09/12 1:19 PM

ハーバード白熱教室(というNHKでは番組なっているマイケルサンデル教授の授業です)、ご存知ですか?

解説をされている小林教授が白熱教室千葉大版をやっていて、先日東日本大震災シリーズ最終回原子力についてに参加しました。

かんぺい先生の挙げた例ほどのシビアな関係ではないですが、それぞれの形で震災には当事者で、その中での推進派(新型原子炉開発あり派、もしくは現状維持派)と反対派(即時停止、順次停止などクラス分けしつつ)が白熱議論しました。

数回にわたっての議論の最終回だったのですが、推進派から反対派に変わった人はいても、その逆はみられませんでした。私の意見が変わるような説得力のある推進派の意見はなかったです。
みなさん冷静でしたよ〜(学生は多分1,2割)、慣れている感じの方が多かったです。

海外暮らしの後、意見が違うことと相手を憎むことはまったく別件だという考えが日本では希薄に感じました。議論が苦手なのはその辺にも理由があるのではないかと思っています。

いずれこれは本になるそうです(確か光文社だった)。
長くてすみません〜また!

くさのね, 2011/09/07 10:37 PM

みぃしゃ、有難うございます。

まさにまさにおっしゃる通りですよね。

既に、そのための知恵はあるのですから、エンカウンターグループやワークの場作りのような質感が、社会や政治の場でこそ役に立って欲しいものです。

それができれば、人類社会の進化と言える気がします。

みぃしゃ, 2011/09/07 9:19 PM

まさに、ロジャースのエンカウンターグループですね。
そうして初めて、変容へといざなわれるのでしょう。
このような場が、妄想だけに終わることなく、現実として社会がシフトしていくことを願って。。