一昨日、第35回鍼灸祭(はりきゅうまつり)が終わりました。
神農祭と鍼灸祭の年2回しか公開されない神農廟への参道。
あいさつされる漢文界の第一人者、斯文会石川忠久理事長。
祭礼は神田神社より神官さんに来て頂いています。
今回は、火鍼療法の講演と実技をさせて頂くことになり、1年前から頭の片隅に常にあり、
「過分なお役目だなぁ・・」
「私なんかやっていいんだろうか・・」
とグルグルしておりました(汗)
なにせこの行事は大先生クラスの蒼々たる方々が過去講演されてきているからです。
今回もひとつ目の講演は、医史学研究分野の第1人者 小曽戸洋先生(北里大学東洋医学総合研究所医史学研究部部長・日本医史学会理事長)でしたし。
(「宇宙」「陰陽」「五行」をご趣味の音楽の例えも使われながらの素晴らしい講演でした・・)
ホール舞台での学会をコンサートホールとすると、鍼灸祭は、演者と参加者の距離がものすごく近いさながらライブハウスの熱気感。
独特の臨場感がいいところなのですが、演者にはなかなかどうしてのプレッシャー感が押し寄せてきます(;^_^A
当日の現場画像はないので、九鍼練習会より火鍼イメージ画像。
まぁそんなこんなで、当日は夢中。
必死にやらせて頂き、なんとかお役目終えることができました・・
実技の時間が短くなってしまったり、反省点はてんこもりだったのですが。
通常の講習会講義と異なり、参加者は鍼灸関係者だけではなく、患者さんとして鍼灸をふだん受けていらっしゃる会社の社長さんとか・・
少ないですが一般の方もいらっしゃったりしています(声かけて頂き、あとで知った次第…)
今こうして終えてみてふりかえってみると、本番前とはすこし違った感慨を感じております。
なにせ会場は湯島聖堂。
ここは、綱吉、家斉の命により建てられた儒学学びの場「昌平坂学問所」、後の筑波大学、お茶の水女子大の源流になってきたところです。
大陸からの智慧を学ぶ拠点で、きっかけはどうあれ、先人の遺産・燔鍼、火鍼を紹介させて頂く機会を頂いたということは、
大変光栄で有り難いことだったのだなぁ・・と終わってみてでは遅過ぎですが、なんだかじわじわときております。
最近のシンクロテーマ的には、臨床の場でいかに”Instrument=楽器”たるかというあり様。
これはコンステレーションワークの師匠chetnaから学んだことです。
いい音色を奏でられるよう楽器の手入れを引き続きやっていくしかないですね。
講演としては反省点てんこもりの出来ではありましたが、このような貴重な機会を通して、先人が応援してくださっているという現実は
否定できないものとして厳然とあり、頭を垂れざるを得ないなぁ・・という有り難い実感として今は感じている次第です。
様々なカタチ、ご縁で支えてくださるみなさんに改めて心より感謝申し上げます。
浅草寺五重塔に安置される慰霊碑(四世神戸源蔵氏施主)へは15日に有志で参拝。
東京大空襲を焼け残った銀杏のイノチ。