家系のルーツを辿る旅に行ってきました。

84になる父親がまだ元気なうちに私がやりたかったこと

・・ということで、短い夏休みを頂いて、家系にまつわるスポットを巡る旅に行ってきました。

父方のルーツは、佐世保市と福岡県の大分寄り杷木町というところ。


小さい頃は、祖母に連れられ毎年のように夏休み伯母のところで過ごしていたので、

佐世保は自分にとって第2の故郷のような場所です。

 



よく訪れていた場所とはいえ、生まれた頃からずっと本籍地住所だったところは一度も

行ったことがなかったので、今回はぜひ訪れてみたかったのです。

 

 

当日は、従兄の運転で伯母も付いてきてくれて、記憶の照合にとても助かりました。

父や祖母が住んでいたピンポイントの場所も無事特定。

 

祖父の戦死後、4人の子どもを育てあげた祖母が、行商の重い荷物を背負って毎日歩いた数キロの

距離と坂の激しいアップダウンを辿ってみたりして(クルマですが・汗)、祖母の偉大さを

改めて皆で確認できたりしたのはよかったです。
 

 

 

当時、祖母や父、伯母は佐賀の方へ疎開していたので、運良く免れた佐世保空襲。

原爆と比して空襲の実態は各地近年までよくわからなかったようで、戦後70年以上も経つ

というのに、ここが設置展示されたのがつい最近の12年前というのには地味にびっくりしました。

 

旧海軍墓地。船ごとに慰霊碑があります。祖父が一時乗っていた戦艦霧島。

 

時代と共に変遷しつつも佐世保市の基幹産業として長年大きな存在

である佐世保重工業(SSK)

ドックには造船中のタンカーがありました。

 

佐世保の朝市。

懐かしい練り物やごま豆腐、ピーナッツ豆腐などが並ぶ。
小学校の頃感動した「ミンチ」を買えてよかった!
すぼのかまぼことミンチ2枚で230円。

 

うん十年ぶりの絶品 鯖の刺身。

生き腐れとも言われる鯖がお頭になっている刺し盛りは佐世保ならでは。
店選びをしてくれた伯母に感謝です。

 

ご当地定番ロンのサンドイッチ。執念のゲット(笑)

ルーツは玉屋(佐世保の代表的デパート)のサンドイッチらしい。

 

父が毎日飲んでいる焼酎かぴたんの平戸島・福田酒造を見学。

創業元禄元年(1688年)という歴史の古い酒蔵さん。

江戸時代から現役で使われているこのような部屋は全国2番目の古さとか。

 

途中に寄らせてもらった平戸島小さな漁港の淀姫神社。

わざわざ行った価値のある雰囲気でした。

 

 

 


杷木町のある福岡県朝倉市は昨年大変な水害にあっていたので、はたして墓周囲がどうなっているのか・・
 

すぐ近くのところはまだまだ土嚢が積まれ、途中の道は通行止めで迂回しなければなりません

でしたが、墓のある地盤はビクともしていなくてとりあえず安堵。

 

 

 

祖母と乗る夜行列車朝の思い出。鳥栖駅のかしわうどん。
今回は残念ながら鳥栖駅には寄れなかったので、ほぼほぼ同じ味わいの
資(スケ)さんうどんのかしわうどんを。

ともあれ、懐かしい場所や味も確認しつつ、父や伯母、いとこ達とたくさん話もできたので、

今回の旅の目的は無事コンプリート。

思っていた以上にルーツを確認していくことに親族皆が嬉しそうにしていることがとても印象的でした。



 

at 21:36, くさのね, つれづれ

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まさかうちの近くのあの踏切が・・・

当院のすぐ近く・・歩いて1〜2分のところにすごい価値のあるものがあるとは知りませんでした。 

内房線と小湊線の二つの線路を渡る踏切。

なにげにyoutube動画を眺めておりましたら偶然見つけてしまいました。
なんと再生回数49万回にならんとする勢い・・



なにげにいつも渡っておりましたが、あの音(電鈴踏切)はそういえば貴重なんですね。
小湊鐵道さんはいまだにsuicaも使えませんし・・というかあえて導入されないようで・・

ディーゼルの車体もペンキ塗り替え塗り替えで古き鉄道のよさを味わえる路線として
ハードとソフトを大事にメンテナンスされているようです。
ふだん1両、2両でしか運転されないのどかな雰囲気なのに、黒字経営なのだそうですから凄いことですね。
昨年はトロッコ列車導入で話題になりました→試乗記事

日経の記事でも取り上げられたりしたこともあるのです → 日経ビジネスオンライン


線路際の菜の花も沿線の住民が自主的に播いているものが多いのだとか。
地元に愛されている鉄道なのです。


もう一月もすると桜の季節。
桜のピンクと菜の花の黄色に彩られた沿線をレトロな車体がのんびり走る光景は大好きな地元の春の風景です。

この動画の完成度凄いです!


無人の高滝駅ホームで花見をしながらお弁当を食べるのが、わが家の春の定番ですが、今年は行けるでしょうか(^_^)








at 13:13, くさのね, つれづれ

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1度きりのロードショー

人は肉体を離れる時、走馬燈という1度きりの上映作品を観ると言われていますね。
この動画をみると、その作品はこんな感じなのかしら・・なんて思ったりします。

こんなことを考えるのは晩秋という時期のせいでしょうか。
それとも育ての母でもあった祖母が亡くなってから1年という時期だからなのでしょうか・・


【全画面表示がオススメです→動画右下角のマークをクリック】





最近、鍼灸の治療と共に人形によるコンステレーションワークの個人セッションをさせて頂く機会が増えてきました。

人の数だけある かけがえのない大切な物語を垣間見させて頂けることは、とても貴重で有り難いことだなぁと感じるこの頃です。




 

at 15:15, くさのね, つれづれ

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考えさせられますね・・

前回の記事つながりという訳ではありませんが、シェア自由ということなので、FACEBOOK介護の心ページさんの記事より紹介させて頂きます。



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京都市伏見区桂川河川敷で2006年2月1日、無職片桐康晴被告が、 認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判でのやり取りを知っているだろうか。 自然と涙が出てきてしまう。 この事件は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。 片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。 母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。 片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。 生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。 介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、 06年1月31日に心中を決意した。 最後の親孝行に、と、片桐被告は31日は、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、そのまま桂川べりで夜を明かす。 2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で 「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は 「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が 「すまんな」と謝ると、母は 「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は 「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。 この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。 母の首を絞めて殺し、自らの首も包丁で切ったが、母の遺体の横に倒れているのを発見され、一命を取りとめた。 「母の介護はつらくはなかった。老いていく母がかわいかった」。 「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」 片桐被告は語った。 冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。 目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返っていた。 判決で東尾裁判官は「献身的な介護を受け、最後は思い出の京都市内を案内してもらい、被告に感謝こそすれ決して恨みなど抱かず、厳罰も望んでいないだろう」と、母親の心情を推察。 半面、「公的支援が受けられず経済的に行き詰まった」と行政対応に苦言を呈した。被告は昨夏、何度か社会福祉事務所に生活保護の相談に行った。しかし「頑張って働いてください」などと門前払いされた。この対応に「被告が『死ねということか』と受け取ったのが本件の一因とも言える」と裁判官。「介護保険や生活保護行政のあり方も問われている」と強調した。 「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」 裁判官が最後にこう語りかけると「ありがとうございました」と頭を下げた被告。判決後、弁護士に「温情ある判決をいただき感謝しています。なるべく早く仕事を探して、母の冥福を祈りたい」と語ったという。
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上記のケースに比べればずっと恵まれてはいますが、私自身も一人っ子でこれから両親と妻の両親の人生終盤にどう寄り添えるかという時期まっただ中ですので、
イノチを全うするということについてとても考えさせられますね。


PS.認知症ケアの参考情報 → ユマニチュード
 

at 09:00, くさのね, つれづれ

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結果ではなく過程・・

『三宅洋平と選挙結果』(シェアさせて頂きました)
http://ameblo.jp/mitsulow/entry-11578098807.html





とてもわかりやすい解説。
こんなふうに鍼灸の世界の説明もしたいものです^^





『原発や、戦争のために働いてる側の人達と友達になりたい!・・
エネルギー問題、TPP、憲法のこと・・
心配なことは山ほどいろいろあるし怒りや無力感も感じるけれど、本当に望んでいるのは対立でも戦いでもない・・

自分と相手の中の本質的ニーズにまなざしを向ける三宅洋平さんに17万票入ったことは、「結果ではなく過程」なのだなぁと本当に感じます。

肩の力を抜いて、数代先の子供の目をまっすぐみられるように歩んでいきたいものです(^_^) 

at 11:33, くさのね, つれづれ

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イエナプランってなんですか?

学びの仲間ムニェカさんより、教育先進国オランダの状況をまとめているTV番組の一部の動画を教えていただきました。


日本より3周先をいく教育現場とはどんななのでしょうか。
たくさんのヒントが詰まっている気がします。


10分ほどの動画ですがおすすめです。




驚きの教育法イエナプラン ↓→ 動画

at 18:18, くさのね, つれづれ

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忘れてしまうこともある

長い人生の旅では、「つながり」を見失ってしまうこともあるかと思います。


そんな時に、観ることができたらいいな・・と思う2分間の動画をNVCでお世話になったオルガさんよりシェアさせていただきます。









at 08:08, くさのね, つれづれ

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冬の空気感が好きです♪

1年で一番夜の長い冬至が過ぎましたね。



寒さはこれからが本番ですが、春に向けて陽差しは少しずつ少しずつ明るさを増していきます。
陰陽論でいうと、「陰」が極まって「陽」が生じていく季節。

寒くても凜とした冬の空気感はとても好きです。
冬晴れの神社など気持ちがいいですね。



そんな冬の空気感を感じてわくわくさせてくれる大好きな曲が以下の2曲。


George Winston 『December』(1982)より → Joy
このアルバムは高校生の頃買いましたが、今聴いてもなんら違和感がありません。



羊毛とおはな → 手をつないで




よい休日をお過ごしください(^_^)♪

at 11:11, くさのね, つれづれ

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選挙を前におもうこと。

今回ほど投票先の選択に悩む選挙はありません。
世の中的にもそのように言われています。





でもこの難しい政治状況が悪いと実は最近思わなくなってきました。
この現状を作っているのは、基本的に私たち有権者の責任だからです。


私個人のもっとも関心の強いイシューは脱原発・エネルギー問題です。

311をきっかけに、わたし自身の無知、マスコミの在り方含め正しい情報を得ることの困難さ、世の中を動かそうとする見えない力学のことがかなりわかってきました。


ただ、脱原発を「唱えること自体に力点を置くこと」には実はあまり関心はありません・・・
というより、一定の価値はありつつそれも何かが違うと感じていました。
もちろん真実を知り続けることや、署名、投票、パブリックコメントするなどの現実的行動はとりながらです。


一番の興味関心は、「2項対立を超える対話の可能性とそれを可能にする個人の意識や在り方」についてです。




このことについて野口嘉則さんがFBページの投稿で以下の例をあげておられ、
とてもわかりやすく共感しましたので以下引用させていただきます:


ケン・ウィルバーが著書『万物の歴史』の中で
次のようなことを述べています。

「地球にとって緊急な問題は、産業化でもなければ、オゾン層破壊、資源枯渇でもない。
これらについてどう取り組むかの相互理解と合意ができていないということこそが問題だ」


地球環境問題をはじめとして、今の社会にはさまざまな問題がありますが、

何よりも問題なのは、

それらの問題について取り組むための相互理解と合意ができていないということだ、

とケン・ウィルバーは述べているわけです。



実際、社会には緊急な問題がいくつもあるのに、なぜ僕たちは、
それらに取り組むための前提となる相互理解と合意に至れていないのでしょうか。



ここで、デヴィッド・ボームが著書『ダイアローグ』の中で述べている言葉を紹介したいと思います。


「コミュニケーションで新しいものが創造されるのは、人々が偏見を持たずに、相手の話に耳を傾けられる場合に限られる」

「人には対話(ダイアローグ)が必要だ。しかし人々が行っているのは、対話ではなく議論だ。自分の意見に固執していては対話ができない。対話では相手を説得することは要求されない」

「対話の目的は議論に勝つことではない。あなたの意見を目の前に掲げて、それをよく見ること。そして、さまざまな人の意見に耳を傾け、それを掲げて、どんな意味なのかをよく見ることだ」



ボームの言う「対話」こそが、
相互理解と合意のカギを握っていると思うのです。

しかし、今の社会では、

どっちが正しいかについて議論を戦わせたり、「○○は間違っている」と相手側を非難したり、

そのような二項対立的な議論はよく見受けられますが、本当の意味での対話はなされていないケースが多いのではないでしょうか。



人はそれぞれ、
違う「ものの見方」をするし、
違う感じ方をするし、
違う価値観を持っています。

つまり、僕たちはそれぞれ、
自分の「ものの見方」で世界を見て、
自分の感性によって世界を感じ、
自分特有の価値観にしたがってものごとを判断します。



そして、おたがいが
「自分の考えこそが正しく、相手の考えは間違っている」
という前提で話し合うなら、どっちが正しいかについての論争になってしまいます。

また、相手側を悪だと決めつけて、「○○は間違っている」と相手を非難するならば、
相手はますます防御的になってしまうので、相互理解の機会は失われてしまいます。

つまり、自分の考えに固執しているかぎり、僕たちは「対話」をすることができないので、
相互理解と合意に至ることもできないわけですね。



自分の意見をしっかりと発言しつつも、それに固執するのではなく、自分と違う意見に耳を傾けていく。

その姿勢で臨むことができれば、対話を重ねていけるし、相互理解と合意も創り出せると思うのです。



ここで、近代哲学の完成者と言われるヘーゲルの考え方を紹介したいと思います。


ヘーゲルは、人間の意識の成長と歴史の発展を、
次のような絶えざる運動として捉えました。

ある考え方(テーゼ)があれば、
必ずそれに対立し矛盾する、反対の考え方(アンチテーゼ)
があり、
この両方の矛盾を統合することで、
より高次の考え方(ジンテーゼ)に至る。

すなわち、
正(テーゼ)→反(アンチテーゼ)→合(ジンテーゼ)という、
矛盾を統合して高次の段階に進むという運動によって、
人間の意識も世界の歴史も進化していく。
とヘーゲルは述べているのです。



ということは、

「自分と逆の意見を持つ相手」というのは、
論破すべき敵ではなく、
より高次のアイデアをともに生み出すパートナー(仲間)
だということになります。

以上引用終了。





原発推進と脱原発。
TPP推進とTPP推進反対。
領土防衛問題への強硬路線とその反対。
いじめ問題におけるスタンス・・などなど。


これらを前にできる最大限のことは、投票などの現実的行動以外に「自分の意識をどう持ちうるか」ということかなと、最近強く感じています。
原子力ムラを前にした「怒り」や、投票を前にした「無力感」に自分自身が振り回されていては、
野口さんがおっしゃるところの「対話」「合意形成」・・自体が成立しないからです。
これは臨床においてプロとして治療効果をあげていくための患者さんとの信頼関係づくりとも共通してきます。



多摩大学大学院教授でデモクラシー2.0イニシアティブ発起人の田坂広志さんが、TVの朝生でおっしゃっていた
原発問題の本質を押さえる時のポイントとして「・・使用済み燃料、高レベル廃棄物の最終処分がそもそもできるのかどうか。
この点について、今年9月に学術会議ほどのオーソリティが地層処分、最終処分は日本では極めて難しい・・と既に結論を出している。
この現実を直視するところから全体を見つめ直さざるを得ない・・」
とおっしゃっていました。

つまり推進したい、やめるべきだという議論以前に、この問題の現実的ポイントに関する相互理解と合意を形成するプロセスを国民が共有できない状況自体が、
ケン・ウィルバーが言うような意味で一番の問題なのかなと感じています。




偉そうなことぶちかましてしまいました(笑)


「この総選挙は、実は、政党と政党の戦いではない。政治に無関心にさせられている国民と、その無関心に安住している政治との戦い。
80%以上の有権者が投票所に足を運ぶとき、静かな革命が始まる。」
という田坂さんの言葉に激しく同意しつつ、ちっぽけな草の根の1本として、知り続けること。できることはすること。
また、淡々と楽しく自分のおなかの人と仲良くしていければと感じる今日この頃です。

今月24日には、ガンジー非暴力研究所所長さんでNVC(ノンバイオレントコミュニケーション)を長く生活で実践されている
キット・ミラーさんのワークショップにかみさんと参加してきます♪




めずらしく熱く投稿してしまいました(^_^)
これもまたよしということで(笑)










at 12:12, くさのね, つれづれ

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灯滅せんとして光を増す

昨年末の27日に、かみさんの祖母が天寿を全うしました。

という訳で、2012年最初の記事になりますが、新年のご挨拶は控えさせていただきます。






明治の生まれで11月にちょうど100歳の誕生日を迎えた翌月のこと。
いろんな事情で、かみさんの母親が介護をすることになったのが約9年前。

それほど先は長くはないのでは…という状態から、9年も生きられたというのは、
24時間体制での義父母の献身的なケアの賜物です。

すごいプロジェクトを間近でみせていただきました。


途中三度ほどあぶない時期がありましたが、都度お灸などさせて頂き、人間の生命力をたびたび感じさせて頂くこともありました。


畳の上で眠るように天寿を全うする・・
なかなか当たり前のことではないそれを近くでみせていただきました。

最期は、なんと39度5分まで高熱を出したところから15分ほどの短時間ですぅーっと息をひきとられたとか。
連絡を受けてすぐ駆けつけましたが、今回は鍼やもぐさを使わせて頂くことはありませんでした。とても柔和で穏やかな表情でした。




「灯滅せんとして光を増す」ということばがあります。
ロウソクなどの灯火が消えようとする前のほんの瞬時明るさを増す。人が亡くなる直前に少し容態がよくなることのように、
物事が滅びる間際にしばらく勢いを盛り返すことをいう仏説法滅尽経のことばだそうです。

あまりいい意味で使われないこともありますが、自然法則観察の中ででてきた言葉。
陰,極まって陽を生じるひとつのカタチとともに見事なイノチの全うを、最期にみせていただきました。






ありがとうございます。
合掌。

at 11:58, くさのね, つれづれ

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